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ピアノ

ピアノの魅力

ピアノの歴史

ピアノが誕生して約300年になリます。
3世紀に渡って発展を遂げてきたかのように思えますが、実は20世紀になってからは、ほとんど変化がみられません。
ピアノは19世紀未に完成の域に達してしまったのか、それとも音楽そのものがピアノにそれ以上のものを求めなかったのか、はてまた・・・
そのあたりの謎を、歴史をひもときながら考察してみましょう。

最初のピアノフォルテ

現在のピアノの原型をつくったのは、イタリアのクリストフォリ(1655〜1731)であった。
チェンバロの音が強弱の変化に乏しいことを不満に思い、爪で弦をはじいて鳴らす代りにハンマー仕掛けで弦を打って鳴らすという、現在のピアノ・ メカニズムを発明したのが、1709年。 彼はこのメカニズムを備えた楽器を“クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ”(弱音も強音も出せるチェンバロ)と名付けた。 この名称を短くつめて、現在“ピアノ”と呼ばれているわけである。
このクリストフォリの仕事は、イタリアでは後継者がなく、ドイツのオルガン製作家ジルバーマンに受け継がれた。彼はクリストフォリの発明に改良を重ねて 新しいピアノをつくった。 J.S.バッハは、フリードリッヒ大王に献呈されたジルバーマンのピアノを、王の御前で演奏している。(1747年)

ピアノフォルテの改良

ドイツのピアノ工業に最も大きな貢献をしたのは、ヨハン・アンドレス・シュタイン(1728〜1792)であった。
彼はジルバーマンのピアノのメカニズに新たな改良を加え、ドイツ式もしくはウィーン式と呼ばれるアクションを完成させた。このアクションは長年にわたって評判をとった。シュタインのピアノは軽快なタッチと音が特長で、モーツァルトはこのピアノの明るく平均された音色を愛し、多くのピアノ曲を書いた。
一方イギリスではヨハネス・ツンペが、クラヴィコードの流れを継承して、クラヴィコードにハンマーアクションを装置したスクウェアピアノ を制作した。ピアノを初めてソロ楽器として公開演奏したのは、J.C.バッハ(J.S.バッハの息子)であったが(1768年)、そのとき使われたのがこのスクウェアピアノであった。
そしてこのツンぺの発明したイギリス式アクションに改良を加え、弦の張力を増し、フレームも強いものにしたのが、イギリスのジョン・ブロード・ウッドである。彼のイギリス式アクション(1780年頃)は、抵抗感のあるタッチと力強い音を生み出した。現代のピアノの先駆ともいえるであろう。晩年のベートーヴェンは、このブロードウッド製のピアノで数々の傑作を書いた。

ホールでの演奏に耐える音量と音域を追求

初期のピアノフォルテは、1台1台が手作りであったから、決まったモデルを量産したのではない。 従って同じメーカーでも、つくるたびに新しいアイデアを加えて、形も多少変えていった。その音域も18世紀の終り頃までは5オクターブが標準であったが、1800年の境を過ぎると、年を追って音域を増してくる。
フランス革命(1789年)以後、それまで貴族のものであったピアノ音楽も 一般大衆化し、ピアノ工業も大きく発達したのである。1000〜2000人の人達に聴かせるためのホールもでき(18世紀末)、ピアノも音域の広がりとともに、ホールで聴くに耐える音量や音の伸びが要求されるようになった。弦はより高い張力で張られ、それを支えるフレームにも、頑丈な鉄骨が使われ始めた(1799年)。
手作りで1台のピアノを完成させることは不可能な時代に入ったのである。

現代グランド・アクションの完成

音量を増大するのみならず、ピアノ奏法の発達にともない、タッチの面でもピアノに対する要求は大きくなっていった。 素早い連打やトリルなどの装飾音、早い連続したパッセージの多用(ロマン派音楽)が作曲面であらわれるに従って、ピアノのアクションにも、より敏感なものが要求されるようになった。
この要求に応えてアクション機構も一層精密さを増し、アフタータッチがよりクリアーに感じられ、素早い連打を可能にする画期的な現代グランドアクションが、フランスのピエール・エラールにより1821年に発明された。

様々な部分に加えられた改良

1820年を過ぎる頃から、ピアノの製造方法に各国で多くの改良や発明が行われた。ミュージックワイヤーを使うようになったのもそのひとつで、それによってピアノフォルテ時代の細い真鍮線に比べて、音量が著しく増大した。
1826年には、ドイツ系のフランス人ハープが、フェルト製のハンマーを発明した。低音の音量を豊かにするために、太い銅の巻線を使うようになったのも大きな発明である(1820年)。 また、スペース的な実用性を高めるために張弦を交叉にした「交叉弦」も、やはり19世紀前半に考案された。音域もショパン、リスト時代は82鍵にまで増大した。
ショパンは、20歳でワルシャワからパリへ渡ってからは、生涯を終えるまでプレイエル製のピアノを愛用した。リストは、ベヒシュタイン、ベーゼンドルファーなどのピアノを使っている。拡大されたピアノの音域と、増大された音量を縦横無尽に駆使した最初の作曲家は、リストであった。

質的向上をめざした19世紀以降のピアノ工業  〜現代のピアノの完成〜

19世紀の半ば、ショパン、リスト時代を持ってピアノのメカニズムの原理と工法は、一応の完成の域に達した。メーカーのその後の努力目標は、もっぱら質の向上に向けられていった。 ピアノの弦はさらに太い巻線になり、また全体の張力も増大したため、それを支えるために鋳物の鉄骨を組むようになった(1840年)。 そのうえに華やかな明るい音を求めるとなると、弦の張り方も限度まで張力を高めることになる。現代ピアノの張力のトータルは、20トンにも及んでいる。

ヨーロッパピアノメーカーの特色と変遷

パリのエラール社は現代の20世紀まで、フランスを代表するピアノ名門会社であった。創業者セバスティアン・エラール(1752〜1831)は、 フランスでピアノフォルテをつくった最初の人である。19世紀末から20世紀初めにかけて、エラールの品質は世界的な評判をとり、演奏会ホールや各国の王宮にもエラール・ピアノが備えられた。
ドイツのブラウンシュヴァイクのグロトリアン・シュタインヴェークは、今日のスタインウェイの前身会社で、今なお堅実な製品を出している。この一族の一人であるハインリヒ・エンゲルハルト・シュタイヴェーグはアメリカに渡り、ニューヨークに工場を開き、名前を英語読みにかえてスタインウェイをつくりはじめた(1853年)。これがニューヨークのスタインウェイである。後にまたこの一族の一人がドイツに戻って製造を始めたのが、今日のハンブルグスタインウェイである。かくしてこの会社は二種の製品を出すことになった。
ベヒシュタインの元祖フリードリヒ・ウィルヘルム・ベヒシュタインは、19世紀半ば過ぎに、ロンドンのピアノ工場で徒弟として修行を積み、バリではハープに弟子入りをして1853年にベルリンで小さな工場を開いたが、数十年で一流メーカーに進出。リストやビューローもこのピアノを愛した。
ライプチヒのブリュートナーも、1853年にユリウス・ブリュトナーが3人の仲間とともに工場を開き、創業はじめから品質の良い、音量の充実したピアノとして評判をとった。モシュレス、ライネッカ、リストなどが愛用し、1867年のパリ万国博では一等の金賞を得て一躍有名になった。
ウィーンには名門ピアノ、ベーゼンドルファーがある。イグナツ・ベーゼンドルファーによる1828年の創業で、音楽の都ウィーンを象徴する歌うような伸びのある音質が長所で高い評価を得た。
総じて19世紀半ば以後のピアノは、大会場にふさわしい音量が要求されるので、一昔前に比べて鍵盤も長く、沈みも深い。協奏曲などでオーケストラに負けてはならないので、ピアノの設計にもその対応が必要になってくるのである。また一方で作曲家もオーケストラに挑戦するような作品を書くのは、リスト時代から始まっていた。音域の面でも第一次世界大戦後は、88鍵が標準になった。
このようにして、音の質、タッチ、音域、音量、そして総合的に現代の要求に応えるピアノが完成したのである。

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