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>宮地楽器 >大人のための音楽教室 >music in lifeインデックス >vol.2 座談会レポート(前半) music in life 〜vol.2 座談会レポート(前半)〜
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−−ピアノとの出会いを聞かせてください。志賀 会社の女の子が結婚することになり、「2次会で何かやってくれませんか」と言われまして。ピアノはさわったこともなければ楽譜も読めなかったのですが、よせばいいのに、娘のピアノを借りて練習し始めたのが最初です。曲はジョン・レノンの『イマジン』。CDを約半年くらい毎日聴いて、ワンフレーズずつ。なんとか独学で覚えました。 −−本番はどうでした?志賀 まあうまくいったつもりなんですが、弾き語りだったので来ていた外国の人に聞いてみたんですよ、「発音はどうだった?」と。すると「そんなことはどうでもいい。やったことが素晴らしい!」と言ってくれて。それで妙に自信がついてしまったんですね。少し習えばすぐにできるだろうと思ったんですけど、いざ習ってみるととんでもない。難しいものですねぇ。 −−今のバンドは違う?今は学生をあきらめて「プロになる」と勝負をかけないとできない。僕らの時代でも4〜5才下になると、僕らより全然上手いのに、一般の人を前に演奏を聴かせる機会は少なかった。不完全燃焼だったのだと思います。僕らはやるだけやったからみんな自分の実力を知っている。だから、その後それぞれ別の正業についたんです。 −−天野さんは定年退職の日を期してレッスンを受け始めたとか。天野 ええ。小学校時代、60年も前の話なんですが、通っていた中野の区立小学校の先生が、ピアノの和音の音を当てさせるソルフェージュのようなことを授業でしていまして。それが不思議によくできましてね。ほめられて気をよくしたのか、音楽が好きになったんですね。おじがアコーディオンをもっていたり母の郷里の家にオルガンがあって、さわることはありましたが、大学を出てから40年、結局1度もピアノを習うことはありませんでした。かねがね仕事が終わったらぜひピアノをやりたいと思っていたので、65才で引退したその日に、宮地楽器へ飛び込んだんです。今年の発表会で連続10年の賞をいただきました。 −−みなさん何かしら音楽との接点があったのですね。大浜 私はちょっと経緯が変わっていて、ダンス音楽をつくりたくてピアノを始めました。30代から始めたダンスに、もともと好きでやっていた作曲を結びつけたいという夢をもちまして。それまではギターで作曲していたんですが、ピアノが弾けたら作曲の幅が広がるだろうと思ったんです。 デジタルな毎日に疲れたとき音楽をやろうと思いました(中村さん)−−杉本さん、中村さん、三浦さんは子供の頃にピアノをやっていたそうですが。中村 僕は子供の頃に母に習わされてから、なんだかんだとピアノがいつも近くにありました。幼稚園から始めて2年生くらいでやめたんですが、中学で又弾きたくなって、楽譜を買ってきて再開しました。大学で東京に出てきてからは下宿にピアノを置けないので、親戚の家で弾いたりしていました。銀行に勤め、初ボーナスで買ったのがクラビノ−バ。4畳半の独身寮に置いて狭いところで弾いていましたし、留学先のアメリカでも勿論ピアノを買いましたよ。 (続く)
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志賀さん
新しい曲をやるときはワクワクします。1曲やっては前のを忘れるのでレパートリーがふえないのが悩みのたね。宮地楽器で知り合った仲間とバンドをやるようになりましたが、ライブでやるのもせいぜい10曲です。ポップスやロックが好きなので、これからも続けていきますよ。 ![]() ピアノ出演したライブでのひとこま。
杉本さん
譜面を見ると音をはずしてしまうんです。見ながら弾けないのが悩みのたね。クラシックは好きですがジャズピアノもやってみたいですね。 ![]() 杉本さんが店内のピアノに向かう。ごく自然な雰囲気。
天野 肇さん
発表会のときは暗譜しますが、暗譜したものをすぐに忘れてしまうんですよね。去年やった曲が弾けない。やった曲は繰り返し弾くように心がけているんですがね。譜を見ながら弾くというのがぜひやりたんですけど、譜面を見ると手元がおかしくなる。
荒川 清さん
戦後、バタヤン(田端義夫)に勇気づけられましてね。退職後バンドを組み、小金井市内の在宅介護支援センターなどで演奏しているんです。
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